「うれしいのに、さびしい」その気持ちは自然なこと
赤ちゃんができることが増えていく。昨日までできなかったことが、今日はできるようになっている。その姿を見るのは、本当にうれしいことですよね。
けれど同時に、なぜか胸の奥がきゅっとして、少しさびしい。「私にしかできなかったこと」が減っていくような気がして、置いていかれるような感覚になることもある。そんなふうに感じてしまう自分は、心が狭いのではないか。そう戸惑っておられるのですね。
まずお伝えしたいのは、その気持ちは決して特別でも、間違いでもないということです。うれしさとさびしさが一緒にあるのは、とても自然な心の動きなのだと思います。
少しずつ親から離れていくのが子どもの成長
「子育て四訓」というよく知られた言葉があります。「乳児はしっかり肌を離すな、幼児は肌を離せ手を離すな、少年は手を離せ目を離すな、青年は目を離せ心を離すな」というものです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、自分では何もできない存在です。けれど、少しずつ笑うようになり、首がすわり、泣く以外の方法で気持ちを伝え、ハイハイで移動し、やがて立って歩くようになります。親がいなければ何もできない状態から、少しずつ自分でできることが増えていくのです。
この「子育て四訓」は、親と子どもの距離が成長とともに少しずつ変わっていくことを教えてくれているのかもしれません。
わが子ができることを増やしていく姿は、親にとって何よりもうれしいもの。けれどその成長は、親の手を少しずつ離れ、自分の足で歩き始めるということでもあります。だからこそ、喜びと同時に胸の奥にふっとさびしさが広がるのも、無理のないことなのだと思います。

子育てを自転車にたとえることがあります。最初は支え、補助輪をつけ、後ろからしっかり持って走る。そして、ある瞬間、そっと手を離すときがきます。自分の力で進めたときの、子どもの誇らしそうな顔。それは本当に輝いています。
けれど、手を離す側の親の胸には、うれしさと同時に少しのさびしさもあるのではないでしょうか。それは「成長がさびしい」のではなく、ぴったりくっついていた関係性が別の形へと変わっていくさびしさなのかもしれません。
そのさびしさは、子どもと向き合ってきた証
私には3歳の娘がいます。生まれてからずっと、授乳しながら眠っていました。「ママが一緒じゃなきゃ眠れない」と言っていた時期には、正直なところ「いつまで続くのかな」と感じることもありました。
けれど最近は、「○○ちゃんはね、赤ちゃんじゃなくなったから、おっぱいは飲まないで寝るの」と言って、自分で眠ることが増えてきました。その姿を見て、成長がうれしい反面、「もう眠るときに私がいなくても大丈夫なんだ」と思うとちょっぴりさびしくもあります。それは娘の成長そのものがさびしいのではなく、「赤ちゃんだった娘」とのあの濃密な時間がひと区切りを迎えたことへの気持ちなのかもしれません。
こうした複雑な気持ちが生まれるのは、親として一生懸命に子どもと向き合い、関係を築いてきたからこそなのではないでしょうか。深く関わり、ぴったりと寄り添ってきたからこそ、その距離が少し変わるとき、心も揺れるのだと思います。
親子の関係はなくなるのではなく、形を変えながら続いていきます。「子どもにしてあげる」関係から「子どもと一緒にできる」関係へ。そしてやがて「子どもを見守る」関係へ——。
うれしさも、さびしさも、どちらも大切な感情です。きれいに分けなくても大丈夫。混ざりあったまま、そのまま抱えていていいのです。
その戸惑いも、そのさびしさも抱きしめながら、お子さんの成長をみつめているあなたは、とても温かい存在です。今感じているそのお気持ちも、きっと親子の大切な通過点なのだと思います。
























