いつ産むか。どう育てるか。働くかどうか。
女性にとって、子どもを持つことは、「持つかどうか」というひとつの決断ではありません。この連載では、子どもを持つ女性に、妊娠・出産によりキャリア、人生、やりたいこと、パートナーとの関係について何が変化したのか、どう決断したのかを描きます。
vol.3に登場いただくのは、看護師資格を活かした仕事で独立を叶えた山口優子さんです。前編では、最初の結婚、離婚、そしてその後ステップファミリーになるまでの激動の人生についてお話を伺いました。この後編では、新しいクリニックでのキャリアに花を咲かせ、独立するまでのお話と、その後の家族の形の変化について伺います。
子育てのため、収入アップを目指した転職で見つけたやりがい

──前編では、新しいパートナーと2人の子育てをするようになったこと、そして収入を上げるために新しいクリニックに転職したお話を聞きました。この新しいクリニックでのお仕事はどのようなものだったのでしょうか。
新しい職場は美容外科のクリニックでした。これまでの仕事よりも収入が高いことが一番の決め手でしたが、美容に興味があることも後押しになりこの職場に決めました。これまでの看護師としてのキャリアのおかげで、良い収入もやりがいもある職場を見つけることができ、満足のいく転職でした。
新しい職場になってから、仕事に向き合う気持ちも大きく変わりました。これまでは疾患のある患者さんに向き合う仕事でしたが、美容外科は元気な方をもっと元気にする仕事。また、看護師の腕により満足度が変わったり、それが口コミや指名をいただくことでフィードバックされるのも新鮮でした。
例えば、肌を綺麗にする治療でレーザーを当てたり注射をしたりする時に、その腕や丁寧さなどから「次もあなたがいい」と指名されることがよくあるのです。収入を上げることを目指して選んだ職場でしたが、奇しくも「あなたのおかげで笑顔になれたと言われたい」という願いが叶い始めた実感がありました。「もしかしたら、向いているかも」と。
独立するならラインを決める。大きな決断の仕方

──さらに、この美容外科で大きな転機があったとか。
クリニックで新しい取り組みを始めることになり、アートメイクの導入を検討していた時のことです。興味のある人がその担当をできることになり、「やりたい!」と手を挙げました。この時は、アートメイクそのものではなく、集客、施術、見送りまでを一人で行えることが魅力的で名乗りをあげました。頑張れば頑張るほど感謝してもらえる世界は、まさに私がやりたかった仕事の形でした。
さらに、アートメイクには私の知らなかった魅力的な世界が広がっていました。技術ひとつとっても様々なやり方があり、学べば学ぶほど奥深い。気づけば家に帰ってからも、休日も練習に明け暮れる日々になっていました。お客様もどんどん増えて、予約もいっぱい。充実した日々を過ごす一方で、キャリアチェンジを考え始めてもいました。
──というと?
クリニックには正社員として雇われているので、予約でいっぱいでも収入があまり変わらなかったのです。たびたび給与を交渉しても、変化の幅は微々たるもの。次第に独立を意識するようになりました。
子どもがいなければ、きっとすぐに独立をしていたでしょう。しかし、2人の子どもがいて独立に失敗するリスクを考えると、なかなか踏み切れずにいました。そこで私が考えたのは「独立するラインを決める」こと。予約が3か月待ちの状態を作れたら、独立すると決めたのです。
その日は思ったよりも早くきました。3か月分の予約が入った時点でクリニックの中に店舗を構える形で独立することに。その後はもう、必死に働きました。とにかく多くの予約を受けるために、休日返上で出勤する日が続いたことも。「これが独立するということか」とその厳しさを実感しながら予約の数を調整したこともありました。
けれど、全体的に見れば独立によって収入も働き方も格段に良くなりました。一緒に住んで子育てをサポートしてくれていた母は、それまで「子どもと過ごす時間を犠牲にするなんて」と仕事に消極的でしたが、この変化により私の仕事の意義を理解してくれるようになりました。
独立した矢先の2度目の離婚。シングルマザーになるまで

──独立が成功して、まさに順風満帆ですね。
それがそうでもないんです。独立してしばらくして、2人目のパートナーともお別れすることになりました。それで今、シングルマザーだというわけです。
──お別れした理由を聞いても?
私って、あまり「家に向いている」タイプではないんです。当時のパートナーと出会った時はまだクリニックに雇われていて、正直に言えば安定したい、養ってもらいたいという気持ちがありました。しかし、やりたいことを見つけて独立してからはどんどん仕事に目が向いていって。
もっと技術を身につけたい、さらにSNSで集客したい。子育てや家事に割く時間がどんどん少なくなってしまう。母がサポートしてくれるけれど、パートナーとしては私にもっと家にいてほしい。
けれど、私が力を注いでいる技術の習得や練習がどれだけ大事なことなのかは、あまりわかってもらえませんでした。練習をしている時に子どもが泣いて、「なんで見てくれないの」と言われたこともありました。私からすれば、「手が空いているのならあなたが見てよ」という気持ちでいっぱいでした。そういうすれ違いが積み重なり、お別れすることになりました。
“普通”と違ったとしても、それでいい。私らしい人生の切り拓き方
──1人目のパートナーとお別れした時には、同じ家で一緒に子育てをしてくれるお母様の存在のおかげで決断できたとお話されていました。
今回も母の存在は大きかったです。また、前回の離婚の時に親権を取らなかったことを悔やんで、母が強く勧めてくれたおかげで、1回目の離婚の時のように親権を手放すことなく、きちんと親権を取って離婚することができました。2人の子どもは今でも、元パートナーの家と、私と母が一緒に住む家を好きなだけ行き来しています。
──今のキャリアと家族の形を、どんな風にとらえていますか。
私の場合は、独立して一人でも子どもを育てていける収入を得られてとても良かったと思っています。勇気を出して独立して収入を上げたおかげで、自分らしい選択ができたし、子どもたちのための貯金をしてあげることもできる。一家の大黒柱になったことで、母も「あなたしか稼げる人がいないんだから」と仕事を応援してくれています。その仕事がとても好きだし、休日返上で仕事をする自分のこともとても好き。
最初の離婚をした時、まだ正社員としてクリニックに勤めていて、パートナーとの収入の差があまりありませんでした。離婚して初めて知ったのですが、それだともらえる養育費がとても少ないんですよ。多くの女性が「子どもを育てられないから」と離婚を諦める理由がようやくわかりました。けれど、本当は選択肢はそれだけではないかもしれません。たくさん稼いで、周りの手を借りながら家事や子育てをしていく選択肢もとれるかもしれない。もっと他の方法もあるかもしれない。いわゆる“普通”とは違ったとしても、それでいい。それが私らしいやり方なのですから。
取材・文/ 出川 光








