いつ産むか。どう育てるか。働くかどうか。
女性にとって、子どもを持つことは、「持つかどうか」というひとつの決断ではありません。この連載では、子どもを持つ女性に、妊娠・出産によりキャリア、人生、やりたいこと、パートナーとの関係について何が変化したのか、どう決断したのかを描きます。
vol.3に登場いただくのは、看護師資格を活かした仕事で独立を叶えた山口優子さんです。現在、16歳と10歳の男の子のシングルマザーである山口さんに、自分らしいキャリアや家族のつくり方についてお話を聞きました。
地元では、若い頃に結婚するのも子どもを持つのも当たり前だった

──まずは、現在の家族構成について教えてください。
現在16歳と10歳の男の子の母親で、シングルマザーです。長男と次男は父親が違うステップファミリーで、二人目のパートナーと離婚してシングルマザーになりました。現在41歳なので、もしかしたら、また素敵なパートナーに出会うこともあるかもしれないな、とも考えたりします。こんなことを言ったら、現在思春期真っ只中の長男に怒られそうですが(笑)
──子どもを持つイメージは、もともと持っていましたか?
私も兄弟がいたので、なんとなく複数の子どもを持つような気がしていました。かと言って、「子どもを持ちなさい」と誰かに言われたことはありません。私の地元である山梨では、若い頃に結婚したり子どもを持ったりすることが当たり前なので、自然と自分もそうなるような気がしていました。
「あなたのおかげで笑顔になれた」。誰かの役に立てる看護師を目指して

──この取材では、子どもを持つことなどの人生のライフイベントとキャリアをどうデザインしたのかを聞かせていただいています。キャリアの始まりについても教えてください。
現在は看護師の資格を活かした仕事で独立しています。このキャリアは、看護科のある高校を選択したところから始まりました。その時は、それまでの人生で出会った看護師がとても優しかったこと、職業体験で看護師をしたら「あなたのおかげで笑顔になれたよ」と言われたことで「人に喜ばれる仕事をしたい」と進路を選択しました。しかし、その後就職してみると、思っていたのとは違う世界が広がっていました。
──というと?
最初に配属された病院でいじめにあったのです。さらに、そこでの仕事はとてもきつく、悲しいものでした。1ヶ月ほどでその病院を辞めましたが、「看護師を辞めるのは早い」という母の言葉に背中を押されて次の病院に転職しました。
次のクリニックは、それまでよりもオペレーショナルな治療が多い疾患を扱っていました。そのため、「あなたのおかげで」と感謝されることはなくとも、とても働きやすい環境でした。業務がシステム化されているため働きやすさが抜群で、休暇などの制度も整っていました。また、そのクリニックで最年少の私は、職場の先輩にも患者様にもとても可愛がってもらいました。そのクリニックに勤めている時に最初のパートナーと出会い、一人目の子どもを出産しました。
仕事は子育てより何倍も楽。仕事に逃げていた1人目の子育て
──ご結婚は何歳の時でしょうか。
21歳の時でした。私は看護科の高校を卒業してすぐ就職したので、この時すでにこのクリニックで4年ほど勤めており、キャリアも安定してきた時でした。結婚を機に基本的なブライダルチェックをして、ほどなくして自然妊娠。子どもを授かった時は、それはそれは嬉しかったのを覚えています。
──お仕事にはどれくらいで復帰されたのですか?
半年くらいで復帰しました。「社会とつながっていたい」「仕事を忘れてしまいそう」という気持ちもありましたし、私にとっては育児よりも仕事の方が楽だったからです。子どものことをとても愛しているのですが、長時間子どもと遊ぶのが苦手なんです。特に、ずっと子どものやりたいことに付き合っていると叫び出しそうになるようなこともありました。「仕事に復帰した」と言えば聞こえは良いかもしれませんが、育児から逃げるようにして仕事をしていたと思います。
──とは言え、仕事から帰ってきたら育児が待っているわけですよね。
そうなんです。当時は子育てとの両立が本当に大変でした。子どもは言うことを聞かないし、すぐにギャーッと泣いてしまいます。夜泣きする子どもをあやしているとあっという間に朝になってしまって、髪の毛がぐちゃぐちゃのまま仕事に行き、鏡に映った自分の姿を見てびっくりすることもありました。
そんな私と、パートナーの価値観はずいぶん食い違っていたようで、子育てをあまり手伝ってもらうことはできませんでした。そのような理由から、子どもが3歳の時に離婚することになりました。後からとても後悔することになるのですが、当時の私は離婚を急ぐ気持ちから、親権をパートナーに渡して離婚する形をとりました。
子どもに会えさえすれば大丈夫。親権をパートナーに渡して離婚

──離婚を急ぐあまり、親権を渡してしまったのはなぜだったのでしょう。
当時の私は、親権についてあまりこだわりがありませんでした。また、「私もパートナーもどちらも子どもに会うことができさえすれば、離婚の形はどんなものでも大丈夫」と考えていました。私とパートナーが離婚を決めるにあたって、パートナーが子どもに会えなくなることを懸念していたので、パートナーに親権を渡すことにしたのです。離婚する前は、実家に私の母、私、元パートナー、子どもで住んでいました。その家から私だけが出て一人暮らしをする形で、別居することになりました。
──そのライフスタイルはうまくいったのでしょうか。
最初はうまくいっていました。月の半分は私の母と元パートナーが、もう半分は私の母と私が一緒に子育てをする形は私とパートナーのライフスタイルによく合っていたと思います。母は育児にとても協力的でしたし、最初の目論見通り私もパートナーも子どもとの時間を過ごすことができました。しかし、数年経って元パートナーが家を出ることになり、子どもを連れて行ってしまったのです。仕事をしながらの子育てには、パートナーのお姉さんを頼ることにしたようで、これにより私が子どもに会える頻度が少なくなってしまいました。「どうしてあんな決断をしたんだろう」と親権を渡したことをとても後悔しました。
──その後、どのようにして山口さんのもとにお子さんが戻ってきたのでしょうか。
実は、元パートナーが病気で亡くなってしまったのです。この時私は二人目のパートナーと出会ったばかりの頃。元パートナーの体の具合が良くないことを知って「もしかしたら、一人目の子どもと一緒に住むかも」と打ち明けると、その人は「じゃあ一緒に子どもを育てる、パパになる」と言ってくれたのです。心の中では「そうでなければ別れよう」と思っていた私はとても安心しました。
──そうして、ステップファミリーになったのですね。
はい。長男が戻ってきた時には本当に嬉しかったです。長い間親権を渡してしまったことを後悔していたので、一緒にいられる喜びを噛み締めました。長男と新しいパートナーはゲームという共通の趣味を通じてあっという間に仲良くなりました。新しい生活が始まった時にまだ幼かったことも理由のひとつかもしれません。間もなくして、長男が「弟が欲しい!」と言うようになりました。それを聞いた私とパートナーは「オッケー!」と即答。ほどなくして、次男を授かりました。
──2人目のお子さんを産む時に、仕事への不安はありませんでしたか?
実家の敷地内に家を建て、母と近居していることが大きな心の支えになりました。母も一緒に子育てをしてくれるから、安心して働けると感じて安心して仕事に復帰することができました。
その後、2人の子育てをするのであればもっと収入が欲しいと考えるようになり、それまで勤めていたクリニックを辞め転職しました。この時は、収入を上げることが第一条件で、それまで重視していた感謝されることや仕事のやりがいは二の次。無事に転職を済ませ、新しいクリニックでのキャリアが始まりました。
前編では、最初の結婚、離婚、そしてその後ステップファミリーになるまでの激動の人生についてお話を伺いました。キャリアと家族に向き合い、自分にとって最適な形を探し続ける山口さんの姿が印象的なお話です。後編では、新しいクリニックでのキャリアに花を咲かせ独立するまでのお話と、その後の家族の形の変化について伺います。
取材・文/ 出川 光








